嫌な父親
自分の父親のことについて考えてみる。
嫌いで、まったく尊敬できない父親
会社から帰ってきたら、母親に会社の愚痴を言いながら夕食を1時間以上かけて食べる。
その後、寝転がってテレビを見ては、文句を言う。
「文句を言うなら自分がやってみろ!」と毎回、心の中で思っていた。
親が独占して見ていた野球・相撲・マラソン&駅伝が嫌いになった。
よって、一緒にテレビを見るのが苦痛なので、同じ部屋に居たくなかった。
包丁を研いで指を切る
定期的に包丁をかなり研いでいた。
望んでいないのに、極たまに父親がインスタントラーメンを作る時があった。
ただ普通に作るだけでいいのに、なぜかキャベツなどの野菜を入れたがる。
下味をつけたり、炒めたりせず、ただラーメンに入れるだけだから美味しくない。
そして、滅多に包丁を握らないのに、余計なキャベツを切る時に、必ず指をスパッと切るのだった。
一度、親指の先を皮一枚残して切っていた...。
趣味がツツジ
無趣味だったが、遠い親戚からツツジを鉢で育てることを紹介され、ツツジが趣味になった。
といっても、美的センスがないので、ただ鉢が増え続けるだけで、父親が育てている鉢のツツジを見ても綺麗と思ったことはない。
友達のお爺さんが、庭中、鉢を育てている家があったが、亡くなるとすぐに処分されていた。
きっと、うちもそうなるだろう。
切羽詰まって勉強する
バブルが崩壊し、父親はリストラ対象となった。
慌てて勉強し、資格を取っていた。
リストラか、子会社へ出向の選択を命じられ、出向を選んだ。
その後、単身赴任し、子会社へ出向させられた。
その期間の数年は、父親が自宅にいなく、超快適だった記憶がある。
今でも殴りたい
幼い頃から中1まで暴力を振るわれ続けたので、同じ17歳くらいの年齢で対等にして、殴り合いの喧嘩をしたい。
おそらく、向こうが戦う気がなく喧嘩になりそうにない。
こちらは叩かれ続けた恨みがあるが、向こうにはなく、一度抵抗した瞬間から暴力がなくなったから、一方的な暴力しかできないと思われる。
酒癖が悪い
酒癖が悪く、普段、聞き取れないくらいの小さな声量なのに、酔ったら爆発的な大声を出す。
反面教師になっており、私はどんなに酔っても俯瞰で見る自分がおり、悪い酔い方はしないと心掛けている。
末っ子の生き残り
父親の兄弟は7人くらいで、一番下の末っ子だ。
上2人が戦争で亡くなっている。
三男と思われる人物が長男となり、小学校の校長先生をして、厳格な雰囲気だった。
次男は酒飲み、三男は陽気な感じでいつもニコニコしていた。
何番目かわからないが1人女性がいたが、早めに亡くなったような気がする。
現在、生存者は父親1人になっており、そんなに長生きできない家系と思われる。
私は子供とできる限り一緒に遊んできたが、子供はあまり覚えていない様子で、いつか嫌われる存在になってしまうのだろう...。
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