2023年、明けましておめでとうございます。
<以前、下書きしており、暗い話なのでずっと保留にしていた話です。今まで誰にも言えない、言わなかったことで、不快に感じる方はスルーしてください。ただ、どこにも吐き出しできずにいて、ストレスを抱えているので、このブログだけ書かせてください。>
元旦に私の実家へ、昨年同様に私1人で帰省した。
それも1分程度しか滞在しなかった。
兄の車は敷地内に駐車しており、私の車は自宅前に路駐。
他に停めるところがないのに「車を移動しろ」と言われたので、すぐに帰ることにした。
正月が1年の中で一番嫌いな日だ。
正月を終えたら、すぐに来年の正月が来るのが嫌という気持ちになる。
原因(1)
結婚してから、妻と一緒に元旦は実家へ行くようにしていたが、食ハラが止まらなかった。
ただでさえ、妻は人前で食べるのが苦手なのに、滞在中、私の両親が次から次に食べさせようとするのだ。
妻は断りにくく、一生懸命に食べていた。
その結果、帰宅途中のコンビニで、繰り返しトイレにいっては「苦しい...」と正月から倒れる始末。
もちろん、私が事前に食べさせるのをヤメるように伝え、その場でも何度も無理に食べさせないように言っているのに止まらなかった...。
食料不足で苦しんだ時代を生きてきたためか、人に腹一杯食べさせることで自己満足しているのだろう。
かといって、逆に食ハラをする本人に食べるように言っても絶対に食べない。
私1人で帰省するようになってから必要以上の食事を用意しなくなった。
なんなんだろうね。
断りにくい妻をターゲットにしていたのは確実だった。
やっと「食ハラ(食のハラスメント)」という言葉ができたので、これに苦しんでいる方が多いと思われる。
原因(2)
私の母親は、世間体を異常に気にする。
そのためなら約束を破ったり、平気で嘘を付く。
嘘を追求したら、嘘を認めても謝ることはせず「そう言わないと仕方ない」と開き直ってくる。
それが原因で、3年前に大喧嘩した。
それ以降、家族を実家に連れていくのをヤメた。
人に親不孝だと何を言われても構わない。
生まれた時からヒドイ扱いを受けてきたから。
あと、友人からは「いい親じゃない(いい親だね)」とよく言われるのに腹が立つ。
母親は家に居る時と外に居る時は別人なのだ。声、喋り方が全然違う。
嘘で固めた姿を友人は信じてしまう。
私は親の悪口を言わなく「私がダメだ」とずっと言われ続けて育ったので、自分でもそう思うようになっていた。
悪口を吐き出すのは、このブログくらい。
みんな私の母親の嘘で固めた方を信じるから、言っても仕方ないので、心の中に収めている。
世間では、ひどい虐待を受けている子供がおり、それに比べたら私はマシな方で、ずっと甘ったれていると思っていた。
昔のテレビはひどい虐待のシーンが多かったが、コンプライアンス的なのか、最近はシャワーを浴びせる虐待のシーンが多い。暴力を受けてきた私には、これって虐待なの?と疑問を感じる。
幼い頃から中学1年まで両親2人から暴力を振るわれ、泣いて謝っているのに叩き続けるのは、愛ある暴力とはとても思えなかった。
兄が悪い時も、私のせいになり「お前が悪い、お前が我慢しろ!」とよく叩かれた。
昼間、母親から叩かれ、父親が帰ってきたら告げ口され、また夜、父親に叩かれた。
児童養護施設に行きたかった。でも、親が正直に暴力のことを話すことはなく、例え行っても連れ戻されるのはわかっていた。
中1の頃、ずっと叩かれ続けるので、いい加減ヤメてほしくて叩き続ける父親に向かって蹴り返した。
「こいつ蹴りやがった」と言い、さらに暴力がくると思いきや、それ以降、暴力が一切なくなった。
いざ、反撃がくると思ったら、暴力をヤメる卑怯な父親で、散々やってきたなら最後まで戦い続けてほしかった。
兄を叱ったり、叩くことは一度も見たことがない。
さらに根深い心情
正月が嫌いな原因はこの2点だが、それ以前に生まれた時から、私と兄とで差別を受けて育っているから、かなり根深いシコりがある。
兄は母方の親戚の中での「初孫」だから大切に育てられた。
次は女の子と願って、男が生まれたから、私はガッカリな子として扱われた。
普通、思っても子供には話さないと思うが、そのことを何度も子供の頃に直接言われた。
なんで生まれてきたのだろう? なんで親が子供にこんな嫌なことを話すのだろう? と思いながら育った。
兄も弟を庇うことを1度もしたはなく、悪いことはすべて弟のせいにした。
そんな兄はバツイチで、引きこもりの娘が1人いる。
結婚してから家事を一切やらなく、ゲームをやり続ける兄への不満から不仲になり離婚した。
私が家事(掃除・洗濯)をやっていることを知った兄の元奥さんは驚いていた。
「えっ? 兄弟でそんなに違うの?」って。
密かにバチが当たったと思っている。
私の母親は当然、兄を責めず、元奥さんの悪口を散々言っており、今は兄の娘を元奥さんに似てダメな孫として悪口を言っている。
もちろん、元奥さんの悪口言っていたことを問うと「そんなこと言っていない」と平気で嘘をつく。
子供の頃、親と一緒に遊んでもらったことはほとんどなく、常に邪魔もの扱い。
家に居たくないので小学生の頃、誰か一緒に遊んでくれる人がいないか近所を彷徨い歩く日々だった。かなり切なかったなぁ...。
親が親戚にも私の悪口を言っているようで、親戚から兄は可愛いがられ、私は冷たく接された。
祖母も兄にだけ、こっそり飲み物・食べ物やお金をあげていた。
兄は私に分けてくれることは一切なく、見つからなければ、内緒にされた。
面倒臭いので、私は見て見ぬふりをした。
見つけて「ずるい!」と言ったら、祖母がしぶしぶ私に飲み物を渡す姿を見るより、もらわない方が傷付かなかったからだ。
唯一、母親の弟で叔父にあたる人だけ、差別することなく接してくれたので、叔父さんだけ好きだった。でも、叔父さんの奥さんは見下すような目で私を見ていたのが今でも忘れられない。おそらく、その人にも私の悪口を言っていたのだろう。
それから、世間体を気にする母親だから、勉強するように言ってきた。
一緒に勉強をしてくれることはなく、のび太のママのようにただ「勉強しなさい」と言ってくるだけだから、勉強嫌いは加速した。
のび太のママが「一緒に勉強しましょ」と勉強を教えていたら、日本の子育ては変わっていたかもしれない。
別に大学へ行きたくなかったが、1浪してそこそこの大学へ通った。
勉強の仕方がわからなく、いい大学へ進学できなかった。
1浪の終わりがけにやっと勉強のやり方に気付いて成績が急速に上がり始めたが、すでに遅過ぎた。
すべては「大学まで通わせ、子育てをやり終えた」という親の自己満足のためだった。
できれば専門学校へ通いたかった。
今でもそう思う。子供の頃から、私の意見が通ることは1度もなかった。
親に話すと、まず否定から始まるので、自然と親へ相談することはなくなった。
私も強い意志を持って、この方向しか進まないと突き進んだらよかった。
でも当時、情報が少なく、相談する人がいなくて、ずっと否定され続けて育ったので、自分に自信が持てなかった。
友人の女の子に「もっと自分に自信持ったら?」と言われた言葉がずっと胸に刺さっている。
よって、人前に出るのが非常に苦手。
写真を撮られるのも嫌。
兄はよく写真を撮られていたが、私は撮られていないので、カメラを向けられたら、どんな表情をしていいのかわからないのだ。
それから、残念の子として育てておいて、今さら見返りを求め、要求してくるのは違うと思う。
母親は、好きな物とそうでもない物の時、顔や言葉に出る。
普段、平気で嘘をつくのに、そんな時は嘘をつけない。
小学生低学年の頃、母親に誕生日プレゼントを渡した。
生まれて初めてのプレゼントでドキドキしながら渡したのに、母親がそうでもない物の時の表情をし、渡したことをとても後悔した。
「これはいらないなぁ」と心の声が響き渡ってくる感じだった。
それ以降、プレゼントすることはなかった。
大人になってから、たまに「旅行へ連れて行ったり、親孝行しろ」みたいなことを言ってくることがあった。
はぁ?
私が子供の頃、一緒に遊んでくれなく、暴力を振るい、家に居づらくて外を彷徨い歩く生活をさせていたのに、今さら親孝行って言われても...。
おそらく、自分たちが暴力を振るったことをなかったことにしているのだろう。
例え聞いても「叩いたことない」と平気で嘘の返事することは明らかだ。
兄と差別したことを忘れ、都合の悪いことはすべて棚の上に置いてしまっている。
きっと、私には財産分与がないと思っている。
兄がすべて受け取るだろうし、そのことを私には決して話さないだろう。
子供の頃、お年玉を取られ「貯金しておいてあげるから、成人になったら渡す」と言われたが、未だにもらっていない。
将来、兄の引きこもりの娘が墓を守ることはないだろうし、その時になって頼ってきても私は仏の心は持っていないだろう。
愛ある子育てをされて育った人を見ると、本当に羨ましく思う。
そんな人に限って「親を大切にした方がいい」と平気で言ってくる。
自分が子育てするようになってから、自分の子供の頃にされたひどい扱いの記憶が蘇ってきて、今頃になって怒りが爆発しそうなのである。
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