子供から言われたショックだった一言
私が親に遊んでもらえなかったので「私は子供と率先して一緒に遊んだ」と思っていた。
私の場合
私は子供の頃、家族から邪魔者扱いされて育ち、遊んでもらった記憶と言ったら、父親とキャッチボールを2、3回したくらい。
でも、遊び要素や会話はなく、ただキャッチボールするだけだから、まったくおもしろくなかった。
母親と買い物の帰りに公園に立ち寄っても5分程度しか遊ばせてもらえなかった。
家族旅行は、父親の会社が提携している施設で、毎回、大分県の別府だった。
今では映えスポットとして人気だが、子供頃の地獄めぐりのリピートは、本当に地獄だった...。
その頃の写真は、全然楽しくないので、すべてふてくされた顔で写っている。
子供が色の付いたお湯を見てまわって、楽しいはずがなかった。
子供の場合
子供と公園へ行ったら、1時間以上は一緒に遊んだし、家族旅行もたくさん行った。
それなのに子供は、あまり覚えていない様子...。
「一番楽しかった思い出は?」の質問に、絞り出した子供の答えは「おばあちゃんとの将棋」。
はぁ? かなりショックだった。
まさか、私の天敵だった妻の母親との思い出が一番楽しかったと...。
私から金を巻き上げ、タダでコキ使い、嫌味ばかり言う最低な人だった。
私たちの子供を「私が育てる」と言い出して、振り回し続け、私と妻を精神病院通いにさせた張本人だ。
孫には甘かったようで、嫌な部分は見せなかったみたい。
お金を蓄えるのが好きだったようで、生前は超ドケチだった。
お金を増やすだけ増やして、亡くなった後のことを考えていなかったから、相続の処理が大変だった。
生前、気前よくご馳走などしていたらよかったのにね。
スポンサーリンク