妻の父親の命の火が消えかかっている
しかし、悲しいと思う者がいない...。
なぜなら元気な時、人に対して常に怒鳴りまくっていたからだ。
さらに、自分のミスも人のせいにして怒るというタチの悪さ。
そして、都合が悪くなったら逃げる。
日頃、家族に怒鳴りまくっていたのに、よそでは自分は家族に除け者にされて可哀想な人として語り続けるから、いきなり「父親を大事にしなさい」と初めて会った人に説教されることが多々あった。
反論せずにグッと我慢し続けた。
真実を知らずに、父親の言葉を鵜呑みにして説教してくる人もどうかと思うが、内情を知っている人からは「大変だね」と同情された。
そんな父親が6年前くらいから、認知症を患い入院。
集中治療室でタバコを吸って病院を出禁になり、介護施設に入った。
病院の出禁って初めて聞いた。
介護施設では、施設関係者を装い逃走したりした。
介護施設でも、いろいろやらかすから、いくつか施設を転移した。
症状は悪化していき、1年前くらいから自分の排泄物を壁などに、こすり付けるようになった。
お尻に違和感があるものがあると思って、手で触って手が汚れるから、それを壁などにつけてまわるのだ。
コロナ禍で面会謝絶だったが、今は施設側がもっと面会に来るように言ってくるようだ。
だが、好き勝手な行動をしてきた父親には誰も近づきたくない。
映画「男はつらいよ」の寅さんみたいに、どこか憎めない人ではなく、残念ながら憎まれている。
それでも「親を大切にしなさい」と言う人がいるが、数々の悪事を私は知っているだけに自業自得と思う。
親戚も誰も来ない状況。
一番の迷惑や心に深い傷を負わされた家族が、面会を求められる。
妻のお姉さんはほとんど面会に行かなく、妻がしぶしぶ面会に行っているが、今まで散々嫌なことを言われたので、その時の気持ちを直接、伝えようと思っていたが、苦しそうに寝ている父親を見たら言えないようだ。
そんな威張っていた父親には、遺書がない。
亡くなった後、どうしてほしいとの要望を伝えたり、何も残していないのだ。
よって、ほとんど口をきかない程、仲が悪かった母親と一緒のお墓に入ることになる。
あの世でも口喧嘩することになるのだろう...。
はじめての面会
私は、はじめて面会に立ち会った。
妻から聞いていたとおり、壁やカーテンに茶色の指跡が付いている。
かなり掃除されただろうが、排泄物の臭いと消臭スプレーの臭いが充満しており、たちまち気分が悪くなった。
もう食事ができなく、全身で息をして痩せこけた父親が薄目を開けて寝ていた。
妻は手を握りながら、今までの怒りを収えつつ、感情なく呼びかけるが聞こえているかどうかわからない。
誰からも慕われていなかったが、最低限の配慮をしてもらえるお義父さんは幸せだろう。
家を出て、帰ってきていなかったら、どこかで孤独死していただろうし。
そう、たまに家出をしていた。
私は、妻の父親と母親から一度も「ありがとう」と言われたことがなかったけど、父親からたった一度だけ「お疲れさん」と言われたことが心に残っている。
その一言にすがっていろいろお手伝いしてきた。
それがなければ、もう一切関わりたくなかったかもしれない。
とくに私は妻の母親から嫌なことを言われ続けたが、それは以前、書いたので省略します。
お義父さんが亡くなった後、お義父さんと性格に似ている最恐最悪のお姉さんが残っているが、きっと私一人だったら二度と会わないだろう。
はじめての面会後の2日後の夜中に、お義父さんは息を引き取った。
家族で介護施設へ駆けつけ、妻は少し涙ぐんで「よく最後まで頑張ったね」と声を掛けていた。
お姉さんは、その後の葬儀などの大変さを考え、ため息をついていた...。
お通夜、告別式を行い、来られた父方の親戚は1名だけでした。
兄弟たちは、お金をせびりに来る時は急いで来ていたのに、お葬式には1人も来ませんでした。
来られた1名は、唯一話が通じる方で、兄弟たちの悪巧みから助けてくれた人。
それでも無事、葬式をあげてもらった父親は幸せだろう。
スポンサーリンク