高校時代に留年しそうになった話
高校1年生で留年のピンチ
中学生まで勉強していたが、高校生になったら、まったく勉強しなくなったので、成績は厳しいものだった。
公立高校に入学し、最初のテストは上位だったが、段々と下位へ落ちていった。
得意だった数学もサインコサインが出てチンプンカンプンになったし、とくに国語と社会が悪かった。
さらに、社会でも現代社会が苦手で、教科書を見る気にもなれなかった。
現代社会の先生が嫌いというのもあったかもしれない。
若い男性の先生で、授業はツマらなく、先生が授業時間になっても教室にやって来ず、私がクラス委員長だったから、他の先生に怒られ叩かれた...。
今思えば、お金払って学校へ行っている私が怒られて、給料をもらいつつ授業に来なかった先生は怒られない。叩いた先生に文句を言ってもよかったはずだ。
現代社会の話に戻って、当時はまったく関心がなく、とくに政治関連がダメだった。
1年生最後の中間テストが40点台で、期末テストでは40点以上取れる自信がまったくなく、期末テストを受けたら、平均点が40点以下の赤点で落第決定になり、留年になる。
その高校は1教科でも赤点、つまり通信簿で5段階評価の1を取ったら留年になるのだった。
実際に、同級生で留年した人が1人いた。
1つ年下の下級生と同じクラスになるという屈辱を味わうことになる。
ということで、私は期末テストの現代社会がある日は、ズル休みをすることに決めた。
冬だったので、裸で過ごして熱を出す予定が、熱は出ず...。
話が伝わらない親に話しても、やはり「学校へ行け」という。
行ったら留年決定なのに...。
もし、留年したら高校を辞め、通信制の学校へ行っていたかもしれない。
なんとか親を説得し、高校へ休む電話をしてもらった。
そうしたら「病院の診断書」が必要とのことで、病院へ行った。
病院も適当なのか、仮病なのに風邪の診断をしてくれた。
病院から戻って、しばらくしたら悪寒が走りだし、熱が出た。
寒いのに裸で過ごしたのが、遅れてやってきた。
次の日もテストだったので、ヘロヘロ状態で勉強した。
翌日、高校へ行ったら、担任の先生から「追試験があるかもしれない」と言われた。
少し勉強する時間ができるので、それまでに現代社会を40点以上を取れるように勉強しておいたらいいと思ったが、結局、追試験はなかった。
その後、現代社会は1年の時だけでなくなったので、赤点のピンチが来ることはなかった。
大学受験は大失敗
高校時代は1回も塾へ行くことなく、大学受験を迎えたので、当然、合格することなく浪人生になるのだった。
行きたい道があり、親に相談したら猛反対され、それ以来、親に相談することは1度もなかった。
親はどこでもいいから大学へ行き、それで子育てをやり終えたことを実感したかったのがヒシヒシと伝わってきた。
振り返ると専門学校へ無理やりにでも行くべきだった。
当時、情報を取得できなかったので、いろんな人に相談すべきだったと反省。
洗脳されたように大学へ行かないといけないと思っており、結局、1浪して三流大学に通うことになるのだった。
当然、三流大学へ行って、タメになったことはないし、ただ大学出という履歴が残っただけだ。
でも、三流大学なので、その大学名を自分から言いたくない。
今なら勉強のやり方がわかるが、おそらく大学には行かないだろう。
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