唯一の趣味だったスノーボードのお話です。
スキー嫌いから始まる
高校の修学旅行は、スキー場だった。
修学旅行に行く数日前、英語の先生が授業前に教室の中がガムの匂いがするっと冬なのに窓を全部開けられ、とんでもなく寒かった。その先生は現在、校長先生になっているらしい...。
ゾクゾク感が残り、最悪なことに、修学旅行1日目の目的地に着く直前、熱が出ているのに気付く。
中学、高校と風邪で学校を休んだことはなかった。
よって、風邪引くと思っていなかったので、風邪薬を持参していない。
付き添いの保険の先生に訴えても風邪薬をくれない。なかなか薬をくれない保険の先生で有名だった。
どんどん熱が上がり、倒れるまで風邪薬をくれなかった。
やっと風邪薬をもらっても、すでに遅い。
熱は引かずに寝たきり状態になり、3日目の朝、やっと病院に連れて行ってくれて、看護師に始めてお尻から解熱剤を入れられる。
高校生だったから、四つん這いの格好をさせられて、すごい恥ずかしかった。
衰弱しまくっていたから、女の子みたいに腕が細いとも言われた...。
それがショックで、その後、腕の筋肉を鍛えまくった思い出がある。
3日目の昼から、治っていないが、せっかくだからとスキーをすることになった。
みんなは、3日目なのである程度、滑れるようになっていて楽しそう。
私は、女子に混ざっての初歩のスキーレッスンを受ける。
嫌だったので、すぐに滑れることをアピールし、みんなと一緒のコースへ行けるようになった。
しかし、八の字で緩やかな場所で止まれるようになった程度なのに、山の頂上へ連れていかれた。
止まれない恐怖と戦いながら、前の人に後ろからくっつき、2人でも止まれない。 男同志で、くっついた人には申し訳ないが、離れることもできない…。
なんとか、降りてきてスキーはもう懲りごり。スキー嫌いになった。
まさかのスキーにハマる
それから、大学生の時、高校の時の部活の先輩からスキーに誘われる。
もちろん断るが「お金は全部出す」と言われ、行くことにした。
めっちゃ楽しかった!
自己流の滑り方だが、なんとか滑れるようになり、軽くジャンプもできるようなった。
それから、先輩と何度も行くことになる。
ある時、スノーボードに切り替え、やってみることにした。
インストラクターなどに教えてもらわず、自己流でやったもんだから、逆エッジしまくりで、派手にコケた。
その時、右手首を痛めてしまった。今でも、少し後遺症が残っている。
巣立ちしてプロと一緒に滑る
スノーボードが上手くになりたいため、スノーボードショップへ一人で尋ねる。
訪れたショップは、ディープな方々が集まるところだった。
とにかくパウダースノーを追い求める人たち。
まだ今みたいに認知度がなかった北海道のニセコへ行く連中でした。
私も仲間になり、パウダースノーを追い求めるようになる。
案内人と共にビーコンを付けて、ゲレンデではなく、歩いて雪山を登り、フカフカのパウダースノーを滑って降りてくるのだ。
ニセコには、プロスノーボーダーも多く滞在していて、案内人と仲良しということで、一緒に滑ったこともあった。
一番衝撃だったのが、ゲレンデで自分にとってはトップスピードで滑っており、そろそろ自分でコントロールできないから、連中と離脱しようと思った時、横に逆さまのプロスノーボーダーの顔があった。
えっ、このスピードで縦回転!?
一緒に滑っていたプロスノーボーダーが同じスピードで滑っていたのに、縦回転するとは驚きでした。
ゲレンデを滑り終えると、プロの方から「早く滑るようになったね」だって。
こっちは、ギリギリのスピードだったのに…。
エピソードはまだまだたくさんあるが、このくらいに。
ウェイクボードブーム到来
ウェイクボードが日本にやってきた時、真っ先にやり始めた。
まだ引っ張るボートを所持している人が近くにいなかったので、遠出して他県へ乗りに行っていた。
しかし、軽くジャンプができる程度で、回転技ができずにヤメてしまった...。
でもやっている時は、自分もプロを目指そうと思っており、船舶免許を取得して、休みの日の天気がいい日はずっとやっていた。
一緒にやっていた何人かはプロになったが、今はリタイアして、別の職業になっている。
回転技ができたら自分も、もう少しプロを目指して頑張っていたかも。
やはり夢を目指していた頃は楽しかった♪
スポンサーリンク